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いろんな人がいて、いろんな本を読んでいる。コーヒーと夜の散歩と伊藤計劃がだいすきな25才が、 あんな本や、こんな本を、紹介します。

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ゆめうつつ 「木挽町月光夜咄/吉田篤弘」

 

その名を吉田音吉という。おときち、である。いい名前だ。自分でもいい名前であると自惚れたのか、音吉は鮨屋の屋号に自分の名前を冠して『音鮨』と称した。いい名前である。これにはさっそくぼくもあやかりたくなって、自分の架空の娘を吉田音よしだおんと名付けてその名義で本を二冊ばかり書いた。あくまで架空のつもりだったのに、あることないことをまことしやかに書いたところ、描かれた中身は架空であるとしても、「娘さんはいらっしゃるんですよね」と多くの人が信じて疑わなかった。「最近、音ちゃんはどうしてますか」とよく聞かれる。

 

一代で消えた幻の『音鮨』、店があった木挽町、左利き、ギター、神保町、曾祖父と祖父と父。さまざまなエッセンスから、めくるめく日常と、ことばと文章のおもちゃ箱のような一冊です。

エッセイとしても、詩や、フィクションとしても楽しめます。

はたしてどこまでが虚構でしょうか、現実でしょうか。

 

「そうか。だけど、お前の言うソレが、確実に自分を動かしていたはずだ。自分が誰にも理解されないこと。ひとりであるということ。モノラルな、ステレオではないモノラルな何ものかに動かされていた」

「じゃあ、アンタはいまそっちでステレオなのか」

「右と左。南と北。あっちとこっち。アレもコレも。ふたつの職業。二足のわらじ。聖もよければ俗もよくて。純文学でもサブカルでも何でもいいや。犬も好きだし猫も好き。誰かにオシャレですね、と言われると、てやんでぇと卓袱台をひっくり返したくなる。しかし、いつだって洒落こみたい。海外文学が好きで、多大な影響を受けましたと言った口が、江戸の黄表紙に舌なめずりをしている。刷りあがったばかりの最新作こそ読みたいが、同じ日に見つけた聞いたこともない古本は、未知のひとくくりで結局は一緒。ルイス・キャロルが鏡を磨いてあっちとこっちをつなげたように、十二時三十四分なる時刻が、いまと昔を重ね合わせる。

 

うつつ、ゆうつつ。いまを眠りにつかせてみよう。

 

文章に酔って酔って酔いたいときに、おすすめの一冊です。

 

注意 震災や体調不良、仕事の話など、シリアスパートもあります。

 

木挽町月光夜咄 (ちくま文庫)

木挽町月光夜咄 (ちくま文庫)

 

 

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